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2011/04/04(月)
25日目、晴れ時々雪
11時にガソリンを入れに蛇田まで赴く
華那のところに行こうとしたが電話出ず
あまりガソリンに余裕もないので五代目に聞こうとしたけど出ない
仕方ないので車を走らせる
蛇田のヨーカドーの通りで一般車も受け付けているスタンドを発見
入れている前に五代目からも折り返されて合流
一旦帰宅し三代目とも合流
華那からも連絡を貰いGINGAで合流

77銀行の駐車場で20分くらい話をする
某ゲームショップから物を取って売ったと言うヤツの話を聞いたくらいにして
三代目と五代目と一緒にラーメンを食いに行く
蛇田の大黒屋
もうこちらの方はだいぶ店が開いていた

その後矢本のマックスバリューに
本屋はやってない
王水もやってない
でもKFCはやってるらしい
よくわからない

さくっと見回っておしまい
内陸は水害無い物の古い家が多く
屋根瓦が崩れているのが多かった
津波もだが地震でやられたところも相当だなと

帰りは南浜町を通る
瓦礫しかなく、とても見晴らしの良いところになっていた


2011/04/05(火)
26日目、晴れ
春の陽気が漂う日
とても暖かい

昼間、温泉に行くと言っていたが自分は遠慮
金を払ってまでとも思う
だので家でのらりくらいり弟の部屋をさくっと片づけようとしたが
途中面倒くさくなってやめた

とりあえずPCと配線系をまとめたし良いかな的な

夕方MiRyLが来る
またパンを持ってきた
どーすんだろ
たぶん食いきれない

んでMiRyLは渡波のアパートに少し居座るらしい
近くには鳴るけど大丈夫なのか
そんな心配はしても仕方ないとは思うのだが

てゆーか昨日友人の台所で火事があったとか
油と湯沸かしを同時にやるとか色々間違ってる

明日はにどるの家に行く


2011/04/06(水)
27日目、晴れ
徐々に暖かさを増してきたこのごろ
本日はにどるの家に行く
と思ったら迎えに来てくれるらしい

13時頃顔を見せる
乗り込みヤニを貰ってふかしつつ走ること5分くらい
にどる家着
ネットを使わせて貰う

久方ぶりのマビノギ
フレがいつもより少なかったけどpinponさんが配信してた
その中で色々聞かれたが声も届かないし
文体だけなのである程度までです
復旧したら配信もやらんととは思ったけど
ゲストくらいにとどめようかなとかなんとか

1時間くらいで撤退
にどる達が温泉に行くらしい

帰宅して一眠り
飯食ってTVでさんまのSPがやってた
【ホンマでっか!?】って番組
結構こういう番組は見てて面白いしタメになる
何かしらの役には立つだろうとは思いつつ

それにしてもやはりというか娯楽が無くなったってのはいかんせん暇だ

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2011/04/01(金)
22日目、晴れ
とても暖かい日
今日も支援物資が来てどうも明日で終わりみたいな話があったらしい
まだまだツライ時期が続くと思うけど

エイプリルフールだけど特にネタはない
ずっとキーボードの掃除に負われる
コーヒーをこぼした所為でべたべたになってるので
綿棒でキーの穴を1つ1つこする作業
それでもハマるのでネジを外して分解
中のシートにまで染み込んでる
動くのかどうか怪しいんだがとりあえず掃除
夕方まで掃除。掃除。

夕飯は何だったかな…忘れた
MiRyLからメール
パンいらねぇ?らしい
いるから明日の昼頃連絡すると伝える
そんな感じ


2011/04/02(土)
23日目、晴れ、風が冷たい日
キーボードを繋いで反応もあったし壊れてもなかったので
キーがちゃんと返ってくるようになるまで掃除

11時、配給
最後の方に並んでバカみたいに余った物を取りまくる
焼き鳥缶ゲット

12時半、MiRyLがパンを持ってきた
彼女と一緒だったからすぐ帰ったけど
華那は風邪引いたらしい

15時、一衛が来た
生きてたよとか言われたけどmixiだって姉貴見てるんだから
それくらいは知ってるだろに
ヤツは未だに高校卒業してないらしいけど
あとTRPG部は全員生存だと

夕飯、野菜炒め
したら区長が『今日は衣谷くんの誕生日なんでー』なんつって乾杯した
正直な話、恥ずかしいだけだと思った

そう言えばインターネットの中継局がどうも津波被害のあった門脇地区に
あったらしいという情報を得た
当面復旧しないだろうと思ってプロバイダを変える検討した
このままネットがないのも不便ですし


2011/04/03(日)
24日目、晴れ
フレッツ光にすることを決意
その為に電話をする
弟の部屋の片づけを横目に電話をしていたが繋がらない
そしてビールを飲んだせいか頭が痛い
最近花粉症なのでは?などとも思うくらい
目のかゆみ、鼻水、くしゃみがひどい
風邪じゃないの?とかも思うが寝起きの喉の痛さもあるし
現状、よくわからないという結論

そしてちゃんと物資も来た
あmすますわからない

弟の部屋を片づけていると踊るの青島コートを見つける
なぜある?

光の申し込みの電話が繋がり話をするも切れてまた仕切り直し
もう何がなにやら

夕食はくずかけうどん、ご飯。
シイタケに味が付いてて美味かったのだが
濃い味派としては微妙

21時、プラン案内から連絡
工事には1~2ヶ月掛かるとか
これならYahooのままでもよかった気がする
なんか今日は変に疲れた気がする

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2011/03/26(土)
16日目、曇り時々雨午後から晴れ
まだまだ寒い日が続いてます
ぶっちゃけストーブの前でゴロゴロしていたい
風邪も治る気配無し
そんな中で片づけ作業中
ひたすらゴミ捨て
いい加減溜まったゴミを処分しないと置き場所がない
そしてメイン部も片づかないのでやっかい
洋服棚は壊れはした物の、まだ使えそうなので
荷物入れにでもしておこう
少しずつ、本当に少しずつでいいからやっていく
気力が続かん
そう言えば春の甲子園が始まっていた
大振り見てるせいか野球もも楽しく見れる
午後、なんかアンテナを立てていた
SoftBankの簡易中継局だとか
しかも1回の接続に6台の携帯電話しか使えないと言う制限
半径10mじゃないと感知しないっていうなんとも微妙な物
携帯は良いかkら早くネットの復帰しねーかなと
晩飯は野菜スープソーセージ入り、白米、カボチャの煮付け、
春菊のおひたし、明太子煎り、たくあん
十分だよな、本当


2011/03/27(日)
17日目、曇り
配給の手伝いもないので家でだらだら過ごす
昼、メールの確認をしたら友人からメールが入ってた
にどるの家でネットが開通したらしい
Yahooはまだまだだろうなと余り期待もしていない
明日は妹様が来訪するらしい
差し入れ付き
相変わらず余震は続く


2011/03/28(月)
18日目、晴れ
支給があって手伝えと言われ起こされる
親父に最初手伝ったのなら最後までやれと言われたけども
ぶっちゃけ最後まで面倒を見る義理は無いと思っている
こんなことをしていても疎まれるならやらん方が良いと思っているから
例えそれが皆でなく1人でもそう言うのが居るとなると
大変気分はよろしくない
それが無論ボクだけではないのだろうが
文句があるなら手前がやれという話
金を貰うワケでも無く自分達の時間を割いているのだから
ねぎらいを持って貰わないとやり甲斐がない
と言うか報われないし納得が出来ない
人間なんて報われて無くて当然なんだが

11時頃、母の義姉来る
別に身内だからと言って好きにやっている人間なのだから
構わなけりゃいいのにとも思う

13時、給水
ホース3本中2本使って片方どうぞとかバカな話

16時前、妹様着
義姉帰宅

17時半頃ご飯
春雨、漬け物、ふりかけ、だいこんみそ汁、冷や奴
飯の前に華那と話をする
工場の片づけに追われて仮設に行く様な話だった
ゴッタクも心配してたからって言ってたのでゴッタクにも電話する
すげー心配してたけどゴッタクも今福島なんで原発の被災者
嫁は兵庫に逃がしたとか
新婚で別居はダメだろと言っておいたが
あっちはあっちで頑張ってくれることを願う

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2011/3/11(金)
14時46分、最大震度7を観測する地震が発生
部屋の物は8~9割倒れる
最中は全く立っていることが出来ない状況である
揺れは5分ほど続いた様にも思えたが
実際は3分程度と推測される
要は良く覚えていない

ネットの友人からメール、電話が来てる最中津波の警報が鳴る

その場、とにかく水と食糧を確保しなければと思い
外に出た時水だと叫んだのを覚えている
次々と近所住民が外に出て集会所に避難
津波到達は自分の地域はかなり緩やかな物だった
湾になっているおかげだろう

その晩、余震と津波に恐れながらほとんど寝ずの一夜を過ごす



3月12日(土)
昨夜は集まった人々で野外食である
勿論電気水道は使えない状況だ
自家発電機を持っている住人が居たのが幸い
なんとか米は炊けたが調理は難しいだろう
夜が明けると集まった人々が色々と物を持ち寄った
鍋、ナマモノ、釜、釜戸の様な物まで
米を炊くには困らなくなった
煮ることも出来る
当分は生きていけるだろうが食料が底を付く方が早いだろう
何せ身体が不自由な人が多い地域だから
動こうにも動けない方が多いと言う高齢者地区である

その他、津波は何度も引いたり押したりを繰り返す
余震は止まらない
他の地区は死体が上がっているらしい

そして親父は戻らない



3月13日(日)
昨晩は疲れの所為か20時に寝て6時に目を覚ます
夜明けが5時半を過ぎるくらいなので丁度良いくらいだ
朝早くから沢水が流れていると言うことで探索していた人が居た
一緒になって探して沢水を発見
何の問題もなく飲める様なのでそのまま使用することに
(後で聞いたがその沢水は山から出てくる水で
 数十年前からずっと流れ続けてるという
 自然は偉大だと思う)
タンク6つ、ペットボトル10以上全てに水を汲む

近場のコンビニは商売を始めていたが落ちた物は全て泥を被っていた

午後からは街を探索
あふれているのは海水だけでなく
避難した人々もだった
知人を数人見つけるも
いつもの道は自転車での移動はかなり困難な場所になっていた
泥、海水、泥、がれき、泥、人、がれき、海水…
見渡す限りの風景は全て変わっていた

その変わっている風景の中
親父の会社の勤めている会社まで行ってみる
親父の会社は海辺にある為
全て波に浚われ中身はもぬけの殻である
会社の駐車場に停めてあった車はどこへ行ったかなど
最早見当も着かない

その会社に行く途中の浸水した地域でも
水田に車は投げ出され倉庫は動き土台以外残っていない家もあった
ここで始めて被害の大きさを知る

ボク等の地域は全然マシだった
食料、水に恵まれていたからだ
それに加え家も残っている
しかし世の母は強しなのだろう
自分の地域は都市ガスが来ておらず
プロパンガスを使用しているのだが
点検も何もせずに既に使用しているのだから

晩ご飯を食べのんびりしている所に父が帰ってくる
思わず泣いてしまった
弟、妹も無事であるらしい
親父の所に連絡が行っていた様だ

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